2011年03月26日
被災日記その12(東北地方太平洋沖地震)
もう自分の中では被災者って気分ではないし、今回が最終回。
まだ2週間しか経っていませんが、本当にあっという間でした。
人間の本性を沢山見ることが出来て、また自分自身がこういう環境を経験出来たこと。
そうしたものを価値観の中に組み入れることが出来たことは、自分自身にとってはとてつもなく貴重なものだったと考えています。
まだまだ予断を許す状況ではありませんし、楽観出来る要素なんて何もないかもしれません。
原発問題が落ち着いたとしても、その先に待つ風評被害……というより、もう既に後遺症と言い換えられるものが待っているのは間違いありません。
でも、それらを今気にしたところでどうにかなるものだろうか、と。
原発問題について気に病んだところで、現場の方以外が状況を好転させられるわけないです。
風評被害をやめてくれ、と言ったところで避けられるリスクを避けたいのは当然です。
全てのリスク、問題に対し脅えるのではなく、無理に無視するでもなく、放置もせず。
そうした「諸々の問題があるのだ」と認めた上で、過剰でない適度な対応をするだけでいいんじゃないかと思っています。
その上で、将来を考慮していき続けること。
それだけで十分だと思います。
被曝が怖い。 それは当然です。
でもここは、21世紀の最先進国のひとつである日本です。
であれば、恐怖から抗えるレベルの脅威に出来るかもしれません。
そうなったら、インフラを整備して、被曝患者に対する医療の最先端拠点になってしまえばいいじゃないですか。
世界中のそうした患者さんを救える一大都市になるかもしれません。
見えないものに対し、逃げ続けるなんて不可能です。
であれば、それと真っ向から戦える環境を作るべきだと思っています。
風評被害が許せない。 それは当然です。
でも、実際のところ、自分の子供に福島県産のものを摂らせたいか、摂らせるのが適切なのか。
そうしたものを考えた際、選択の余地があるのであれば、他の地方のものを選ぶと思います。
風評という聞こえの良いレベルではなく、実際に汚染されている可能性そのものはあるわけですから、誤った判断であるとは言えません。
国で保証を出すとは言っていますが、それだけでは将来性がありません。
土地・税金を大幅に優遇し、格安のコストで農業などを再開する余地を作ること。
年齢や立場などで限定される部分はあると思いますが、安くて質も良ければ、多少のリスクを無視してでも手にとって下さる方々はいらっしゃると思います。
そうした方々に向けた商売を考えてもいいのではないかと思います。
これから先、ずっと付きまとうことに対し、否定し続けるなんて不可能です。
であれば、それを認めたうえで、現実的な対案を模索するべきだと思っています。
上で書いたことは理想丸出しの妄言に過ぎないかもしれません。
でも、震災でインフラが崩壊した後、電気を点け、水道を通し、ガスで火を灯す。
物資が不足する中、これだけのことをたった二週間で達成した街があるんです。
そんな連中が集まっているのですから、妄言が現実に出来るかもしれないって思います。
普段、時計の針は勝手に進んでいましたが、震災で止まってしまいました。
最初は誰も起きていなかった街で、早起きした連中が総出で時計の針を少しずつ進めて。
そうすると起き出す人間が出てきて、そいつらも針を進めるのを手伝ってくれて。
時計の針を進め続けて迎えた今日。
外に出れば震災を受けたなんて信じられない光景があります。
今は時計の針を、自分達の手で進めることが出来るんです。
他の誰かではない、自分で進めることが出来るんです。
であれば、次に起きる誰かのために、よりよい朝をプレゼントしたいじゃないですか。
悲観も楽観もせず、現実を認め、それに対処していくこと。
別に震災前から変わらない、日常の過ごし方だと思っています。
そう考えると、私はもう日常を取り戻したといえるのかもしれません。
であれば、次の誰かが日常を取り戻せるように、精一杯いつも通りに生きていこうと思います。
そんなわけで、私は元気いっぱいです。
御心配くださった皆様、本当にありがとうございます。
もう私の心配は全くいらないので、ご安心くださいませ。
……ひとつだけ、非日常なものがあったな。

これ、どうにかなるのだろうか。
まだ2週間しか経っていませんが、本当にあっという間でした。
人間の本性を沢山見ることが出来て、また自分自身がこういう環境を経験出来たこと。
そうしたものを価値観の中に組み入れることが出来たことは、自分自身にとってはとてつもなく貴重なものだったと考えています。
まだまだ予断を許す状況ではありませんし、楽観出来る要素なんて何もないかもしれません。
原発問題が落ち着いたとしても、その先に待つ風評被害……というより、もう既に後遺症と言い換えられるものが待っているのは間違いありません。
でも、それらを今気にしたところでどうにかなるものだろうか、と。
原発問題について気に病んだところで、現場の方以外が状況を好転させられるわけないです。
風評被害をやめてくれ、と言ったところで避けられるリスクを避けたいのは当然です。
全てのリスク、問題に対し脅えるのではなく、無理に無視するでもなく、放置もせず。
そうした「諸々の問題があるのだ」と認めた上で、過剰でない適度な対応をするだけでいいんじゃないかと思っています。
その上で、将来を考慮していき続けること。
それだけで十分だと思います。
被曝が怖い。 それは当然です。
でもここは、21世紀の最先進国のひとつである日本です。
であれば、恐怖から抗えるレベルの脅威に出来るかもしれません。
そうなったら、インフラを整備して、被曝患者に対する医療の最先端拠点になってしまえばいいじゃないですか。
世界中のそうした患者さんを救える一大都市になるかもしれません。
見えないものに対し、逃げ続けるなんて不可能です。
であれば、それと真っ向から戦える環境を作るべきだと思っています。
風評被害が許せない。 それは当然です。
でも、実際のところ、自分の子供に福島県産のものを摂らせたいか、摂らせるのが適切なのか。
そうしたものを考えた際、選択の余地があるのであれば、他の地方のものを選ぶと思います。
風評という聞こえの良いレベルではなく、実際に汚染されている可能性そのものはあるわけですから、誤った判断であるとは言えません。
国で保証を出すとは言っていますが、それだけでは将来性がありません。
土地・税金を大幅に優遇し、格安のコストで農業などを再開する余地を作ること。
年齢や立場などで限定される部分はあると思いますが、安くて質も良ければ、多少のリスクを無視してでも手にとって下さる方々はいらっしゃると思います。
そうした方々に向けた商売を考えてもいいのではないかと思います。
これから先、ずっと付きまとうことに対し、否定し続けるなんて不可能です。
であれば、それを認めたうえで、現実的な対案を模索するべきだと思っています。
上で書いたことは理想丸出しの妄言に過ぎないかもしれません。
でも、震災でインフラが崩壊した後、電気を点け、水道を通し、ガスで火を灯す。
物資が不足する中、これだけのことをたった二週間で達成した街があるんです。
そんな連中が集まっているのですから、妄言が現実に出来るかもしれないって思います。
普段、時計の針は勝手に進んでいましたが、震災で止まってしまいました。
最初は誰も起きていなかった街で、早起きした連中が総出で時計の針を少しずつ進めて。
そうすると起き出す人間が出てきて、そいつらも針を進めるのを手伝ってくれて。
時計の針を進め続けて迎えた今日。
外に出れば震災を受けたなんて信じられない光景があります。
今は時計の針を、自分達の手で進めることが出来るんです。
他の誰かではない、自分で進めることが出来るんです。
であれば、次に起きる誰かのために、よりよい朝をプレゼントしたいじゃないですか。
悲観も楽観もせず、現実を認め、それに対処していくこと。
別に震災前から変わらない、日常の過ごし方だと思っています。
そう考えると、私はもう日常を取り戻したといえるのかもしれません。
であれば、次の誰かが日常を取り戻せるように、精一杯いつも通りに生きていこうと思います。
そんなわけで、私は元気いっぱいです。
御心配くださった皆様、本当にありがとうございます。
もう私の心配は全くいらないので、ご安心くださいませ。
……ひとつだけ、非日常なものがあったな。

これ、どうにかなるのだろうか。