2011年04月12日

ほろ酔い気分で原発問題について

 とある方のブログで興味深いエントリがあったので、せっせと文章を書いてみたのですが。
 なんかこう人様のブログに載せるのもいかがかなぁ、って内容になったので、こっちにアップ。


 私が住むのは福島県中通り。
 福島第一原発から58kmくらいの場所に住んでいます。
 政府、行政からは砂遊びするなくらいの忠告しか受けていない地域です。

 そんなところで毎日お酒を嗜んでる私ですが、原発問題を無視しているわけでも、自棄になっているわけでもないです。
 普通に先のことについてはそれなりに考えていますよ。


 さて、今更書くことでもないのですが、原発問題の最大の問題は収束点が見えないことだと思ってます。
 それに対し、距離的にもう少し近ければ、或いはもう少し遠ければ、結論を導くのはそう難しくないと思います。(各々ベクトルの異なる不安はあるにせよ)

 その点、中通りは中途半端ですよね。
 現時点で残っている方々にとっては、特にそうだと思います。

 気にしないっていうのは無理だし、そもそも気にしないのは間違いだし。
 過剰かもしれない程度に反応したとして、それが結果的に正しい判断であった場合も考えられる。
 でも実際問題、現状を放棄するのはリスクが高すぎる。
 言ってみれば正解に近しい妥協点がないって状況になるんですかね。
 そんな状況なんで、色々と疑心暗鬼になるのも仕方ないって思います。

 疑心暗鬼になっちゃうと、一度出した結論を覆したくなるもの。
 一度不安になると、それがめちゃくちゃな勢いで加速するものだと思います。
 正直、それは仕方のないことだと思います。
 手にした情報が正しいのかどうかすら、分からないわけですし。


 私は私の中で、今回の騒動に関する行動の指針は持っていますし、自分の中の判断基準を越えない限りは進んでいこうと思っています。
 自分の行動・判断としてはそれが正しいと思っていますが、環境や状況に応じて、それらの判断が異なってくるのは当然かな、と。
 ですから、他の方がどのような判断をしても、それを尊重すべき状況だと思います。

 正解が見えない状況で、正解を導こうとするのは極めて難しいことなのは間違いないです。
 そうした問題に対し、議論を重ねる事が有意義なんだろうか、というのが正直な感想ではあるんですけど(笑)
 そんな風に考えていますので、地域の方々がどのような判断をなさったとしても、それは間違いということだけは絶対にないと思います。

 ただ、一生の問題ではなく、一時の問題であるとするならば、ある程度考え方にも幅が持てるのかな、とも思いますが。


 とりあえず避難した方を臆病者呼ばわりするのは間違いだし、残って日常を送られている方を知識がない、情報を持ってないというのも違うかな、と。
 それぞれがそれぞれの意図を持って行動しているわけなので、それらの判断は尊重すべきことだと思います。
 こんな時だからこそ、自分ではなく、他の方の心境を理解することが必要ではないかと、私は考えています。

 同時に、他の方の目や口から出てきた情報には、その人の価値観が含まれていることも、絶対に考慮すべきです。
 情報の流通を武器にしていた現代人が、情報に流される事が一番情けないと、私は思います。


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